【概要】
奈良先端科学技術大学院大学(学長:塩﨑一裕)らの研究グループは、大腸菌など微生物の薬剤に対する耐性や感受性について、細胞の電気的な特性を調べる電気(インピーダンス)計測という手法により、高精度で素早く自動的に測定・分析・判定できる装置として、「AI搭載型マイクロ流体デバイス」を世界に先駆けて開発しました。
これまでの微生物の電気計測システムでは、あらかじめ球状の微粒子をチップ状のデバイスの流路に流して電気信号を測定しておき、これを参考データとして微生物からの信号を更正していました。しかし、楕円形、円形など様々な微生物の形の違いによる計測精度の低下や、参考粒子の残留による測定試料の汚染と不要な信号の発生があることから、熟練経験者によるデータ分析と判定が必要といった問題がありました。
今回、開発されたデバイスは、測定試料と参考試料を隔離して流す独立チャネル(流路)からなる並列型マイクロ流体構造のチップです。測定試料に含まれる微生物の形状や特性の違いを考慮するため、参考試料として、微粒子ではなく測定対象の微生物そのものを使用し、自然状態で測定したデータから、人工知能(AI)の機械学習により、電気的な特徴を抽出して自動的に薬剤感受性などの判定基準を作成します。さらに、同時並行にもう一方の流路に抗生物質など薬剤を投与した微生物を流し、その状態の変化を作成したばかりの判定基準により評価し、微生物の感受性などをリアルタイムで詳細に表示する技術を開発しました。
これらの新たな技術により、形状や状態を反映した詳細な微生物分析を高精度に極めて効率的に行えるようになりました。本研究で得られた成果は、薬剤耐性や感受性の評価システムの智能化をはじめ、高効率化、高精度化、自動化の実現に繋がります。
本研究は、ACS SensorsおよびSensors and Actuators: B. Chemicalに掲載されました。
【研究の背景】
病原性微生物による感染症の治療では抗生物質の投与が有効です。この方法では対象となる微生物の感受性や耐性の情報が重要になり、薬剤感受性試験と呼ばれる微生物学的検査が行われます。
この薬剤感受性試験には様々な種類があります。例えば、寒天平板希釈法、液体培地希釈法、ディスク法、E-testなどですが、いずれの方法においても、熟練の経験者が肉眼で微生物の増殖を計測し、定性的に判断します。最近ではマイクロ流体デバイスを用いた方法も使用されています。
微生物の形態変化と薬剤応答の間には関連性があり、例えば、古典的なペニシリン系の抗生物質は大腸菌などの真正細菌の細胞壁合成を阻害するので細胞壁が薄くなり、細菌全体が丸くなることが知られています。本研究ではこうした形態変化について、電気インピーダンス計測の手法により得られる電気的な特徴という客観的なデータから、薬剤感受性や耐性の調査を迅速かつ定量的に行うことを目的としています。
【これまでの問題点】
従来の微生物の電気インピーダンス計測システムは、事前に微粒子を使って求めた参考データにより、計測した信号と実際の形態との関係を調べて校正しますが、いくつかの問題を引き起こしています。まず、計測対象の形態の多様性と微粒子の形態の違いがあります。例えば、大腸菌が長い楕円形などの形なのに、校正用微粒子は直径3-4マイクロメートルの球形であり、両者の違いは無視できず、その後の判定で誤差が発生します。さらに、微粒子を流したチャネル(流路)に、測定したい微生物試料を流すので、キャリーオーバー(残留)による試料の汚染と不要な信号ノイズの発生の問題も生じます。こうしたことから、計測結果は、熟練の経験者によるデータ分析と判定が必要というのが実情で、迅速で高効率に微生物の詳細情報を取得するのが困難になっています。
【本研究の目的と得られた解決方法】
微生物の薬剤感受性試験をより正確・高効率に実行することは診断、創薬、治療法の開発や生命科学研究などの分野にとって極めて重要です。本研究はこれまでの既存の微生物の電気インピーダンス計測手法の欠点について、データの校正の方法や流路の構造を改善し、AIを導入するなど新たな手法を用いて解決し、薬剤耐性や感受性評価システムの高精度化、自動化を実現しました。
まず、本システムはデータに影響する校正用微粒子を使用せず、2つの電極付きチャネルを並列したマイクロ流体デバイスを採用することによって、抗生物質処理を行わない試料と処理試料からの電気信号を隔離させ、それぞれの流路で同時に計測できるようにしました。これによって、機械学習プロセスに薬剤未処理の微生物の信号を直接かつ正確に提供し、電気的な特徴を抽出することで、高精度な判定基準をその場で作ります。同時に、もうひとつのチャネルで異なる薬剤の濃度条件で処理された同種の微生物に対し、薬剤感受性高いものと耐性があるものを区別する計測・分析を行い、先に作成した判定基準に基づいてAIが判定することにより、リアルタイムで分析し、判定結果を表示することができます。
本システムの有効性を証明するため、大腸菌を用いた薬剤(抗生物質)感受性・耐性を調べる実験を行いました。大腸菌はヒトの胃腸管にコロニーとして生存しており、人と共存して特定の炭水化物の分解に重要な役割を果たしています。しかし、ベロトキシンなどの毒素を産生する病原性大腸菌もあり、抗生物質などの薬剤を投薬して治療する場合があります。
今回は同じペニシリン濃度で、異なる時間(0時間、2時間、4時間、6時間)処理した数万個の大腸菌の測定と分析・判定を行い、本システムの有効性を証明しました。結果として、処理時間が長いほど、球状に変化した大腸菌が増加し、6時間の経過で30.7%の大腸菌が応答していました。
【本研究の意義】
本研究により、既存の電気インピーダンス計測システムの問題点である不要信号の混在、参考微粒子に由来する校正誤差、チャネル汚染の問題がなくなるとともに、データの後処理や経験者による判定などの作業が一切不要になり、薬剤耐性・感受性評価システムの智能化、高効率化と自動化を実現しました。さらに、本システムはサイズに限界のある光を用いる方式では得られないナノメートルからマイクロメートルサイズの微小な試料に適用できます。このため、細菌以外にも各種がん細胞、ウイルスなどに対応ができるという特徴があり、診断、創薬、疾病治療の研究に加えて、生命科学研究の効率の大幅な向上が期待されます。
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【掲載論文】
タイトル: Parallel impedance cytometry for real-time screening of bacterial single cells from nano- to microscale
著者: Tao Tang, Xun Liu, Yapeng Yuan, Tianlong Zhang, Ryota Kiya, Yang Yang, Yoichi Yamazaki, Hironari Kamikubo, Yo Tanaka, Ming Li, Yoichiroh Hosokawa & Yaxiaer Yalikun
掲載誌: ACS Sensors
DOI: 10.1021/acssensors.2c01351
タイトル: Machine learning-based impedance system for real-time recognition of antibiotic-susceptible bacteria with parallel cytometry
著者: Tao Tang, Xun Liu, Yapeng Yuan, Ryota Kiya, Tianlong Zhang, Yang Yang, Shiro Suetsugu, Yoichi Yamazaki, Nobutoshi Ota, Koki Yamamoto, Hironari Kamikubo, Yo Tanaka, Ming Li, Yoichiroh Hosokawa & Yaxiaer Yalikun
掲載誌: Sensors and Actuators: B. Chemical
DOI: 10.1016/j.snb.2022.132698
【研究室ホームページ】
https://mswebs.naist.jp/courses/list/labo_11.html
【補足説明】
マイクロ流体デバイス:半導体微細加工技術や精密機械加工技術を用いて作製された、幅・深さが数μm~数100μmの流路(チャネル)構造(髪の毛の直径は200μm)を集積したチップ状のデバイスです。
インピーダンス:交流電圧(特定の周波数で周期的に変化する電圧)を物質などに印加し、流れる極めて微弱な電流を測定し、印加した電圧を電流で割って得られる量をインピーダンスといいます。
機械学習:コンピューターが採取したデータを学習し、そこに潜む一定の規則を見つけ出すことです。また、学習した結果を別のデータに当てはめることで、規則に従う将来を予測できます。
Journal
ACS Sensors
Article Title
Parallel impedance cytometry for real-time screening of bacterial single cells from nano- to microscale