日本でのワインの歴史は浅く、醸造が本格化したのは今から150年ほど前、1870年代以降になります。ところが、九州の藩主がワイン造りを命じる400年前の古文書が熊本大学の永青文庫研究センターによって発見されました。藩主はこう伝えています。「ワインを造る季節になった」。
日本の文献に初めてワインが登場するのは15世紀から16世紀頃、キリスト教の宣教師や貿易商人によって西欧より日本にワインが伝えられた様子がわかります。5,000年前にさかのぼる世界のワインの歴史からすればほんの最近のことですが、以降、ワインは貴重な嗜好品や贈答品として日本に輸入され続けました。
日本国内で日本産のワイン醸造が本格的に始まるのは1870年代に入ってからになります。200年以上続いた鎖国(江戸幕府が海外との貿易や外交を制限した政策)が終わり、日本は急速に西欧の文化を取り入れるようになりました。当時、生で食べたり加工して食べたりするぶどうを栽培していた農家の多かった山梨県甲州市でワインが試作されたのが、日本産ワインの本格的な醸造の始まりとされていました。それまでは、オランダなど限られた貿易国から輸入されるワインが、将軍や藩主などごく限られた人々の間で飲まれていたと考えられてきたのです。
ところが、今回、1628年の記録にワイン造りを命じた記述が見つかりました。
「ぶだう酒を作り申す時分にて候間、上田太郎右衛門に便宜次第申遣作せ可申旨、御意之由」
(ワインを造る季節になったので、上田太郎右衛門に準備させ造らせるようにとの主のご命令である)
記載が発見されたのは「奉書」という藩主の命令を記した文書です。この文中の藩主は細川忠利、当時、日本の九州北部の小倉藩を治めていました。1628年の8月28日に、家臣の上田太郎右衛門にワイン造りを命じていることがはっきり記録されていたのです。さらに同年9月15日には、別の家臣にもワイン造りを教えるよう、上田太郎右衛門に命じています。
今回、記録を発見したのは、熊本大学永青文庫研究センターの後藤典子研究員です。同センターは、熊本大学が管理している58,000点もの古文書を研究しています。「古文書には、原料となる野ブドウを採取したり(1629年9月15日)、出来たワイン2樽を殿のところに納めた(1629年10月1日)記録も残っていました」と、後藤さんは説明します。
1628年9月24日には「(ワインを)去年江戸に送ったように、今年も造って送るように」と命じる記録もあったことから、少なくとも前年の1627年にはワインを造っていることが明らかです。継続して醸造し送っているということは、ワインの出来映えとしては自信の作だった、あるいは評判だったのかもしれません。
さらに、細川忠利は、ワインの輸入を命じる直筆の手紙も残しています。彼はワインを非常に好み、輸入するだけではなく自らの領地でも国産品のワインを造っていたと考えられます。
細川忠利は1632年に同じ九州地方の熊本藩に移り、それ以降、小倉藩のワイン造りは記録されていません。
「17世紀前半、鎖国政策の一環としてキリスト教が禁止されました」と、研究センターの稲葉継陽教授は言います。「キリスト教が禁止され鎖国が完成されつつある中、『西洋的』かつ『キリスト教的』な要素を持つワイン造りは広がることなく消えていったと思われます。再びワイン造りが注目されるのは鎖国の終わった約250年後、今は日本各地でワインが造られていますが、400年前のワインがどのように造られていたかは、まだ史料が発見されていません」。
400年前の日本産ワインがどのような味だったのか、今後の発見が期待されます。