京都大学、石川県立大学、公益財団法人かずさDNA研究所、農研機構、新潟薬科大学は、共同でソバの全ゲノム(生物の設計図)の解読に世界に先駆けて成功しました。蕎麦食は日本を代表する食文化であり、ソバは日本の重要な作物です。ソバの子実はビタミン、ミネラル、食物繊維に富み、また栄養価が高いことから、日本以外の温帯地域の国々でも広く栽培されています。ソバは、蓼(たで)食う虫も好き好きの諺で知られる蓼の仲間であり、これまでにソバの育種に利用可能なタデ科植物のゲノム情報は公開されていませんでした。そこで我々はソバの育種を加速させるため、そのゲノム解読に臨みました。
今回、ソバの全ゲノムの配列を解読するとともに、このゲノム配列から遺伝子を予測した結果、35,816個の遺伝子についてはその機能を予測することができました。その結果、アナフィラキシーショックに関連するFag e 2タンパク質をコードする遺伝子とその他のアレルゲン性が予測される遺伝子がゲノム中の特定個所に集中して存在することを発見しました。また蕎麦麺に新たな食感を与えると予想されるモチ性に関わる遺伝子、蕎麦粉の品質に関連するプロアントシアニジン合成に関わる遺伝子、およびソバの収量安定性に関わる自家不和合性を制御すると推定される遺伝子など、ソバの育種に極めて重要な情報を一挙に明らかにすることができました。
今回の結果は低アレルゲン性、難褐変性、モチ性、自殖性などの有用な特性を持った品種開発の加速化につながります。さらに今回構築したソバのゲノムデータベース(Buckwheat Genome DataBase, BGDB; http://buckwheat.kazusa.or.jp)を活用して他の植物で既知の有用遺伝子を検索し、また得られたゲノム配列情報をもとにして未解明の遺伝子を同定することにより、既存のソバの品質をより向上させることができると期待されます。
研究内容の詳細は国際科学専門誌「DNA Research」電子版(日本時間 2016 年 3 月 31 日午前 0 時)に掲載されました。なお、本研究成果の一部は、農水省委託プロジェクト「次世代ゲノム基盤プロ」の資金によって得られたものです。
【研究の背景】
ソバは中国原産の植物ですが、今では蕎麦粉を原料とした麺(蕎麦切)は世界へ和食文化を発信する食材のひとつにも数えられるほど親しまれています。日本以外にも韓国、中国をはじめとするアジア諸国では麺の原料として用いられており、またイタリアのピッツォッケリ(パスタ)、フランスのガレット(クレープ)、スロベニアのシュトルクリ(ロールケーキ)などヨーロッパ諸国でも蕎麦粉は利用されています。また、ロシア・東欧ではカーシャ(お粥)のように粒食で供されることもあります。さらに米や小麦と比べてもタンパク質・ビタミンB類・食物繊維が多く含まれるなど、栄養面からも重要な作物として知られています。
現在、私たちは蕎麦の品質をさらに向上させるため、プロアントシアニジンおよびモチ性に着目しています。プロアントシアニジンは、酸化すると茶色くなってしまうことから、蕎麦の見た目を落とす原因と考えられています。そこで、このプロアントシアニジンを合成しないソバ品種を育成することにより、褐変しにくい蕎麦が生産できると考えております。またソバ栽培の長い歴史にもかかわらず、これまでにモチ性ソバの報告はありません。近年に開発されたモチ性コムギはモチモチ感や、サクサク感、しっとり感といった従来にない食感を食品に付与することに成功しています。蕎麦においてもこれまでにない新たな食品ができると期待されます。しかしながらソバのゲノムが未解読であったために、プロアントシアニジンやモチ性の形質に関わる遺伝子を網羅的に検出することが困難な状況でした。
ソバは作物として非常に有用ではあるのですが、残念なことにFag e 2をはじめとするアレルゲンが含まれています。そのアレルギー症状は重くなることが多く、生命に関わるとされ、食品衛生法上の表示が義務づけられているほどです。また、ソバには自分自身の花粉で受精ができない自家不和合性5)と呼ばれる性質を持っているため、農業上に有用な形質や高品質性を固定した品種の作成が困難であり、また結実には訪花昆虫が必要となるために収量が不安定であるといった欠点を持ちます。このため低アレルゲン性や自家不和合性などの不都合な形質を除去することはソバ育種の大きな課題となっています。
以上のようにソバの育種ではプロアントシアニジンやデンプンなどの品質改良、およびアレルゲン性や自家不和合性形質の除去が重要項目として挙げられます。しかし、ソバが属するタデ科植物のゲノム配列はこれまでに公開されておらず、ソバの育種に利用できるゲノム情報はありませんでした。そこで、私たちはこれらの農業的に重要な形質を含む、様々な形質に関わる遺伝情報を一挙に明らかにすることを目的として、生物の設計図であるゲノムの解読に臨みました。
【研究手法・成果】
- 京都大学で維持されてきた実験系統を用いて、世界に先駆けてソバのゲノム解読に成功しました(推定全長12億塩基対のうち、868,657,058塩基対を解読)。このゲノム配列から、35,816個の遺伝子の機能を予測できました。
- ゲノム配列に基づいてソバの育種に利用可能なBuckwheat Genome DataBase (BGDB)を構築し、かずさDNA研究所より世界へ向けて公開しました(http://buckwheat.kazusa.or.jp)。
- BGDBを用いることにより、ソバのアレルゲン(Fag e 2ならびにBW 8 kDa6)と類似したタンパク質)をコードする複数の遺伝子がゲノム中に局在することがわかりました。他にもアレルゲンタンパク質をコードする遺伝子は存在しますが、複数の遺伝子が局在するゲノム領域を失った個体の選抜は低アレルゲン性ソバの作出につながると考えられます。また、ソバゲノム中に少なくとも4個のモチ性に関与するでんぷん合成酵素遺伝子が存在することが明らかとなり、さらにプロアントシアニジン合成を制御する遺伝子も見出されました。また、ゲノムの塩基配列データを様々な品種間で比較することにより、自家不和合性を制御すると推定される遺伝子を同定しました。
今回構築したBGDBを利用することにより、他の植物で既知の有用遺伝子の情報をたちどころに得ることができるため、ソバの品種育成を加速することができます。また得られたゲノム配列をもとにして、ソバの農業的に有用な形質を制御する遺伝子の特定、もしくはそのDNAマーカーを作成することができ、遺伝情報を用いた効率的な育種手段を用いることも可能となります。さらにソバのゲノム情報を利用することにより、タデ科植物で多様に分化した生殖様式の進化機構を理解する糸口をつかめるなど、植物学的な基礎研究への貢献にも期待できます。
【今後の展開】
今回得られた遺伝子情報をもとに、低アレルゲン性、高品質性(プロアントシアニジンフリー)、モチ性などのこれまでにはなかった形質をもつソバの開発を目指します。またBGDBの充実を図り、ゲノム情報を利用したソバの育種を推し進めていきます。
Bibliographic Info:
【書誌情報】
著者:Yasuo Yasui�*1), Hideki Hirakawa�2), Mariko Ueno1), Katsuhiro Matsui3), Tomoyuki Katsube-Tanaka1), Soo Jung Yang1), Jotaro Aii4), Shingo Sato4) and Masashi Mori*5)
� co-first authors, * co-corresponding authors
1) 京都大学 2) かずさDNA研究所 3) 農研機構 4) 新潟薬科大学 5) 石川県立大学
Journal
DNA Research