東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科分子情報伝達学分野の中島友紀教授、小野岳人助教らの研究グループは、運動ベネフィットを実現する創薬シーズを発見し、生体レベルで運動機能の向上および運動器疾患を改善するメカニズムをつきとめました。この研究は、科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業 さきがけ「生体における動的恒常性維持・変容機構の解明と制御(研究総括:春日雅人)」における研究課題「運動器の動的恒常性を司るロコモ・サーキットの解明」(研究代表者:中島友紀)、日本医療研究開発機構 (AMED) 革新的先端研究開発支援事業(AMED-CREST) 「メカノバイオロジー機構の解明による革新的医療技術の創出(研究開発総括: 曽我部正博)」研究開発領域における研究開発課題「骨恒常性を司る骨細胞のメカノ・カスケードの解明」(研究開発代表者:中島友紀)、文部科学省・科学研究費補助金、セコム科学技術振興財団、武田科学振興財団、第一三共TaNeDS等の支援のもとでおこなわれたもので、その研究成果は国際科学誌Bone Researchに、2022年8月3日にオンライン版で発表されました。
【研究の背景】
超高齢社会において増加している運動機能の低下は、要介護から寝たきり状態、そして、死亡への転帰をとる人類社会において極めて重大な問題です。我が国では2050年には高齢化率が約40%に達し、実に人口の10人に1人が要介護者になることが予測されています。現在、我が国の要介護となる原因の第1位は脳血管障害や認知症ですが、骨粗鬆症※2による骨折や関節疾患も同様に要介護の大きな原因の一つです。骨粗鬆症患者は1200万人を超え増加の一途をたどっており、高齢による衰弱にはサルコペニア※3などの筋力・運動機能の低下が含まれることから、総合的に鑑みると運動器疾患が要介護の大きな原因であることが窺えます。
この現状からも見て取れるように、運動器疾患は、まさに“現代国民病”と言っても過言ではありません。そして、重要なことに、運動器疾患や運動不足では、認知症やうつ病など精神神経疾患、肥満や糖尿病など代謝性疾患を高頻度に合併します。一方、身体活動の強化や運動介入療法が、運動器疾患だけでなく様々な全身疾患の改善や予防、そして、抗老化に効果的である証拠が世界レベルで積み上げられています。しかしながら、運動器である骨と筋肉は、連動して運動を実現するにも関わらず、個別の医学領域として研究が発展してきたため、その臓器間の連環メカニズムの理解はいまだ未成熟です。そして、運動することで私たちの運動機能が向上したり、運動器疾患の改善や予防にどのようにつながるのか、いまだ不明な点が多いが現状です。
【研究成果の概要】
本研究グループは、まず、大規模でハイスループットな運動器構成細胞の分化・増殖アッセイ系を構築しました。イメージングサイトメーターを使用し、これまで困難とされていた筋芽細胞の増殖と筋線維分化に伴う多核化を高速で定量化することに成功しました。そして、ケミカルライブラリーを用いて、筋分化・増殖作用を示す候補薬物を1stスクリーニングにより選抜しました。次に、選抜された候補薬物(8化合物)の骨形成促進効果(2ndスクリーニング)と破骨細胞抑制効果(3rdスクリーニング)を検討しました。その結果、筋分化と骨形成を促進し、骨破壊を抑制する化合物(E: 17b)を発見しました。この候補薬物は、これまで機能未知の化合物であり、化学構造上Aminoindazole誘導体であることから運動器疾患の創薬シーズとして、Locamidazole (LAMZ)と命名しました。
次に、生体レベルでのLAMZの運動器強化のポテンシャルを評価するため、この薬物のマウスへの投与実験を実施しました。経口投与で血中動態を検討したところ、投与して1時間で最高血中濃度に達し、その半減期は2時間で体内滞留時間は15時間程度でした。この体内の血中動態を鑑みて、2週間の連日投与を実施した結果、投与期間中、筋や骨におけるLAMZの薬物到達はモニタリングできましたが、血液生化学検査、肝臓などへの臓器における副作用は見出されませんでした。そして、LAMZを経口投与されたマウスでは、筋線維の肥大という、著明な組織量の増加が見出されました。また、骨組織においても、著明な骨量の増加が見出され、この効果は骨芽細胞による骨形成の向上と破骨細胞の骨破壊抑制によって導き出されていることが明らかになりました。従って、細胞レベルでの運動器強化の作用点が、生体レベルでの運動器強化の作用機構として証明されたと言えます。そして、極めて重要なことに、LAMZを経口投与されたマウスは、コントロールマウスと比較して、トレッドミルを使用した運動機能試験において有意に持久力があること、そして、筋力測定においても有意に高い生体力学の数値が見出されました 。これらの結果から、LAMZは筋と骨の組織量を増加させるだけでなく、運動機能も強化し運動ベネフィットを模倣する創薬シーズになりうると考えられました。
さらに、病態下でのLAMZの治療効果を検討するため、骨粗鬆症やサルコぺニアを模倣する尾部懸垂マウスモデルにこの薬物を投与しました。本モデルはマウス尾部を飼育ケージの上部に固定し、後肢のみ荷重を消失させることで微少重力環境に感化させる実験モデルです。微小重力に伴う著明な筋肉の萎縮と骨量の減少を誘導することができる本モデルは、寝たきりや宇宙空間など力学的負荷の減少状態で速やかに骨と筋肉が同時に弱くなる現象と類似しており、運動器疾患の人為的な制御法を確立する上で、生体レベルでの機能スクリーニングに有効であると考えられます。本モデルを用いて、LAMZによる治療効果を検討したところ、微少重力に伴う著明な筋肉の萎縮と骨量の減少を、有意に改善する結果が得られました 。
LAMZの運動器構成細胞への作用機序を明確に見出すため、網羅的な遺伝子解析を実施した結果、LAMZを処理した骨芽細胞でミトコンドリア経路の活性化が認められました 。ミトコンドリア経路で運動と関連性が重要視される分子PGC-1a(遺伝子名:Ppargc1a)※4に着目し、さらに解析したところ、LAMZを投与したマウスの筋と骨ではPGC-1aの有意な発現上昇が見られました。また、細胞レベルの検証でも、LAMZを処理した筋細胞において、著明なPGC-1aの発現誘導が生じ、筋線維形成の促進が見出され、骨芽細胞でもLAMZは著明なPGC-1aの発現を誘導し、骨形成と石灰化を高めることが見出されました。そして、これら運動器構成細胞の強化作用は、PGC-1aの阻害剤(SR18292)の処理により、キャンセルされることから、LAMZの標的分子はPGC-1aであることが示唆されました。さらに重要なことに、このLAMZによる生体レベルでのサルコペニアと骨粗鬆症の改善作用を、PGC-1aの阻害剤(SR18292)の投与で完全にキャンセルできることから、運動ベネフィットの模倣の作用点は、PGC-1aによるシグナル経路であることが明らかになりました。
これまでに運動による力学的な刺激によってカルシウムシグナルが誘導されPGC-1aの活性化に関与することが見出されています。そこで、LAMZによるカルシウムシグナルの誘導性を検討した結果、筋細胞と骨芽細胞においてLAMZが細胞内カルシウムシグナルを誘導することが明らかになりました。また、カルシウムシグナル経路を抑制する阻害剤(FK506, KN93)によってPGC-1a活性が抑制され、LAMZによる筋線維形成、および、骨形成、骨石灰化の抑制が見出されました。さらに、カルシウムシグナルで誘導されるMef2cの発現がLAMZによって有意に誘導され、カルシウムシグナルとPGC-1aの阻害により、その発現がキャンセルされることが明らかになりました。また、Mef2c遺伝子をノックダウンした筋芽細胞と骨芽細胞では、LAMZによる筋線維形成、および、骨形成、骨石灰化の誘導が抑制されることも見出されました。
本研究の結果は、LAMZがカルシウムシグナルを誘導し、その下流で2つの分子PGC-1aとMef2cを協調的に作動させ、運動ベネフィットを実現することで運動器疾患の新規創薬シーズに成り得ることを示唆しています。
【研究成果の意義】
運動による力学的負荷が大きくなると、骨と筋肉の組織量は共に増加し運動機能が向上します。一方、寝たきりや宇宙飛行など力学的負荷が減少する状況では、速やかに骨と筋肉が弱くなることが知られています。近年、破骨細胞の骨破壊を抑制するビスホスホネートや抗RANKL抗体、骨芽細胞の骨形成を促進するPTH製剤や抗スクレロスチン抗体の上市によって、骨粗鬆症の治療法は大きな成果をあげています。一方、筋肉を標的とした治療・予防薬の上市には至っておらず、サルコペニアなど筋肉の萎縮により運動機能が低下した患者や高齢者では、転倒などによる骨折や要介護のリスクはあまり軽減されていないのが現状です。従って、骨と筋肉の恒常性を維持、さらには、それを向上させる創薬開発が世界レベルで待ち望まれています。
我々人類は何世紀にもわたって、『身体活動や運動が、健康な身体と健康な心を維持するための基本である』と信じてきました。重要なことに、運動が様々な恩恵をもたらすことは十分に認知されている一方で、運動器構成細胞では、運動によってどのようなシステムが駆動され、遠隔臓器に作用し、健康向上や抗老化を実現しているか?そして、その破綻による全身性疾患を、どのようなシステムが改善・予防できるのか?明確な科学的エビデンスの発見が、世界レベルで期待されています。さらに、現在、COVID-19パンデミックによる身体活動の制限が、感染や感染予後のリスクファクターであることが明らかになり、本領域研究の必然性が、益々浮き彫りとなっています。その研究成果は、日常生活動作(ADL)、生活の質(QOL)や健康寿命の促進、ひいては増え続ける医療費の負担軽減のゲームチェンジャーになると考えられます。
本研究は、運動ベネフィットを実現するメカニズムを明らかにし、運動を模倣することで骨粗鬆症やサルコペニアを改善する創薬シーズ“薬による運動”への開発に道をつけたと言えます。また、この成果は、様々な疾病により身体活動が制限される個人(例えば、脳血管障害や心疾患障害の合併患者)に対して運動効果を模倣したり、運動に対する無反応や有害反応者の治療介入を補完するために利用できる新たな“運動模倣療法”の創成にも繋がるだけでなく、運動によって改善や予防できる精神神経疾患や代謝性疾患など様々な全身性疾患への応用の可能性も期待されます。
【用語の説明】
※1運動ベネフィット
身体活動の強化や運動、心肺フィットネスは、心血管疾患、肥満、糖尿病、認知症、骨粗鬆症、サルコペニアなどの全身性疾患の予防と改善に効果的であり、健康寿命の向上につながる。一方、運動不足は死亡率の増加と顕著な経済的負担に関連している。
※2骨粗鬆症
骨の量が減ったり、質が低下したりして弱くなり、骨折しやすくなる運動器疾患。特に脊椎の圧迫骨折や大腿部頸部骨折はADLやQOLを低下させ、ひいては健康寿命の低下につながる高齢化社会における大きな問題である。現在、我国では約12000万人の罹患者があり、その数は増加する一方である。古い骨を取り除く破骨細胞と骨を新しくする骨芽細胞のバランスの破綻が骨粗鬆症の病因と考えられている。
※3サルコペニア
加齢に伴い筋肉量と減少と筋力の低下を引き起こす運動器疾患。サルコペニアは姿勢を保つ、歩行する、立ち上がるなど、ADLを障害し転倒しやすくなったり、骨折しやすくなったりして、介護が必要となることから、健康寿命に直結する病気であることが知られている。
※4 PGC-1a(遺伝子名:Ppargc1a)
転写子アクチベーターであり、ミトコンドリア生合成、エネルギー産生や熱消費に関る多くの遺伝子発現を制御している。また、PGC-1aは、イリシンの誘導による脳由来神経栄養因子BDNFの発現上昇やキヌレニンアミノトランスフェラーゼを誘導することで神経保護キヌレン酸への有益シフトを誘発するなど、認知症やうつ病などの精神神経疾患の改善にも重要な役割を担っている。
Journal
Bone Research
Article Title
Simultaneous augmentation of muscle and bone by locomomimetism through calcium-PGC-1α signaling