・抗PD-L1抗体「アベルマブ」にブドウ糖残基を持つポリマーを、がん細胞内の特殊環境下でのみ切断するリンカーを介して結合させた化合物を設計、合成した。
・「アベルマブ」の腫瘍組織への集積性を未修飾のアベルマブと比較すると33倍高値を示した。
・悪性神経膠腫の同所移植マウスにおいて、アベルマブの標準使用量の15%量を1回投与するだけで60%の完全奏効率を得た。腫瘍内微小環境の免疫活性を調べると、腫瘍に対する高い免疫活性が確認された。
・正常組織における免疫関連有害事象の発生を抑えながら、脳腫瘍内で強い抗腫瘍免疫を誘導することに成功した。
・奏効したマウスの脾臓を60日後に調べた結果、エフェクターメモリーT細胞が観察でき、このマウスに悪性神経膠腫細胞を脳に再移植しても発がんは確認されなかった。(再発の抑制)
・本成果は、10月12日 午前1時(日本時間)、世界的に著名な学術誌 Nature Biomedical Engineering (IF = 25.671) に Web掲載される予定。
DOI: 10.1038/s41551-021-00803-z
公益財団法人川崎市産業振興財団 ナノ医療イノベーションセンター(センター長:片岡一則、所在地:川崎市川崎区、略称:iCONM)は、東京大学大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻との共同研究により、免疫チェックポイント阻害剤 (ICI)のマウス脳内への効率的な送達に成功し、悪性神経膠腫(GBM:グリオブラストーマ)(注1)の同所移植マウスで高い有効性と再発抑制効果が確認されました。その研究内容は Nature Biomedical Engineeringに掲載(注2)されることとなり、本日10/6午後3時半に記者説明会を開催致しました。以下に発表内容を記します。
免疫チェックポイントとは、免疫細胞であるTリンパ球(T細胞)の活性を制御する分子機構です。がんにおいては、がん細胞の表面にあるPD-L1リガンドと呼ばれるタンパク質(PD-L1)とT細胞の表面にあるPD-1受容体が免疫チェックポイントとして働き、これらが結合するとT細胞のがん細胞への攻撃性が損なわれることが知られています。この発見により、2018年、京都大学・本庶 佑教授がノーベル賞(医学生理学賞)を受賞し、現在、6種類のICI(注3)が、がん治療の臨床現場で使用されています。しかし、ICIは様々ながんに対して優れた有効性を示す一方で、悪性脳腫瘍(脳転移がんも含む)に対しては臨床試験で満足のいく有効性が示せていません。これは脳腫瘍の血管壁が形成する血液脳腫瘍関門によって、脳腫瘍への免疫チェックポイント阻害剤の集積が抑えられていることが一つの要因です。一方で、脳腫瘍内のICI濃度を治療可能域まで高めようと投与量を上げると、免疫関連有害事象が生じてしまうという問題があります。
そこで、本研究は、ICIの脳腫瘍集積性を劇的に高める技術を開発し、治療の有効性と安全性を両立させることを目的として実施されました。ICIとして、ヒトおよび動物の両方で免疫活性作用が確認されているアベルマブ(注4)を用いました。脳腫瘍においては、ブドウ糖をエネルギー源として利用するための代謝系が活性化していて、脳腫瘍へのブドウ糖の取り込みが亢進していることに着目し、ICIにブドウ糖残基をもつ高分子を複数修飾することで、ICIを脳腫瘍に対して効果的に(4時間後に未修飾抗PD-L1抗体の18倍)送達することに成功しました。脳腫瘍への集積量は、正常な脳組織の33倍あり、高い脳腫瘍選択性を示すことがわかりました。また、ICIと高分子の間の結合を脳腫瘍内特有の環境下(還元的環境下)で切断されるように設計することで、正常組織では高分子の結合によりICIの活性を抑えながらも、脳腫瘍内では高分子が外れてICIが遊離して活性化する高分子化合物 (Glc-ICI)を得ることができました。その結果、臨床の場でICIの課題となる炎症性サイトカインの産生による免疫関連有害事象を抑えながら脳腫瘍内で強い抗腫瘍免疫を誘導することに成功(マウスの同所GBMモデルにおいて60%の完全奏効率)しました。しかも投与回数は1回で、低用量(標準的に用いられる薬剤量は10 mg/kg複数回投与であるのに対し、本研究では1.5 mg/kgで1回投与)で十分な効果が認められました。
Glc-ICIで処置したマウス脳腫瘍内の抗腫瘍免疫細胞を調べると、腫瘍に対する攻撃性を示すCD8+ T細胞やナチュラルキラー(NK)細胞の浸潤数が増加し、免疫抑制を担う制御性T細胞(Treg)および骨髄由来免疫抑制細胞(MDSC)が減少するとともに、脳腫瘍内のマクロファージの極性も免疫活性性のM1タイプが免疫抑制性のM2タイプより優勢となっており、総じて脳腫瘍内の免疫状態が抗腫瘍状態に移行したことが確認できました。また、Glc-ICIで奏効し60日以内に腫瘍が消失(完全奏効)したマウスの脾臓には、エフェクターメモリーT細胞が確認でき、そのマウスにGBM細胞を再移植しても発がんが確認されませんでした。つまり、本法によりGBMに対する免疫が長期間にわたって形成されることが確認できました。GBMは再発頻度の高い悪性腫瘍ですが、この結果からGBMの再発抑止への応用が期待できます。
(注1)悪性神経膠腫:極めて病勢進行が速く予後の悪い(5 年生存率:10.1%)脳腫瘍で、脳の急速な破壊に伴い様々な障害が発生するためQOLを大きく損なう。外科手術が第一選択となるものの、手術が不可能であったり、手術できても再発する可能性が極めて高い。複数の化合物が医薬品候補物質として臨床開発の途上にあるものの、現時点で生存期間を大きく改善できる薬物療法はない。
(注2)Nature Biomedical Engineering:英国の科学誌 Nature の姉妹誌であり、医用生体工学分野を代表する学術雑誌。 インパクトファクターは、25.671 (2020-2021)。 https://www.nature.com/natbiomedeng/
<論文題目> Conjugation of glucosylated polymer chains to checkpoint-blockade antibodies augment their efficacy and specificity for glioblastoma(訳:グルコシル化されたポリマー鎖を免疫チェックポイント阻害剤へ結合する事により、悪性神経膠腫の治療および選択性を向上させる事に成功)
<著者> Tao Yang, Yuki Mochida, Xueying Liu, Hang Zhou, Jinbing Xie, Yasutaka Anraku*, Hiroaki Kinoh, Horacio Cabral*, and Kazunori Kataoka
下線は、corresponding author。*の著者は東京大学大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻、その他はナノ医療イノベーションセンターに所属。
<DOI> 10.1038/s41551-021-00803-z
(注3)国内で承認されている ICI:ニボルマブ(抗PD-1)、ペムブロリズマブ(抗PD-1)、アベルマブ(抗PD-L1)、アテゾリズマブ(抗PD-L1)、デュルバルマブ(抗PD-L1)、イピリムマブ(抗CTLA-4)
(注4)アベルマブ:ヒト型抗PD-L1抗体として開発された免疫チェックポイント阻害剤。「バベンチオ」の製品名で、根治切除不能なメルケル細胞癌、転移性腎細胞癌、尿路上皮癌への使用で国内承認を得ている。ヒト型抗体であるものの動物モデルにおいても自然および獲得性の免疫作用で活性化が確認されている。
公益財団法人川崎市産業振興財団について
産業の空洞化と需要構造の変化に対処する目的で、川崎市の100%出捐により昭和63年に設立されました。市場開拓、研究開発型企業への脱皮、それを支える技術力の養成、人材の育成、市場ニーズの把握等をより高次に実現するため、川崎市産業振興会館の機能を活用し、地域産業情報の交流促進、研究開発機構の創設による技術の高度化と企業交流、研修会等による創造性豊かな人材の育成、展示事業による販路拡大等の事業を推進し、地域経済の活性化に寄与しています。
https://www.kawasaki-net.ne.jp/
ナノ医療イノベーションセンターについて
ナノ医療イノベーションセンター(iCONM)は、キングスカイフロントにおけるライフサイエンス分野の拠点形成の核となる先導的な施設として、川崎市の依頼により、公益財団法人川崎市産業振興財団が、事業者兼提案者として国の施策を活用し、平成27年4月より運営を開始しました。有機合成・微細加工から前臨床試験までの研究開発を一気通貫で行うことが可能な最先端の設備と 実験機器を備え、産学官・医工連携によるオープンイノベーションを推進することを目的に設計された、世界でも類を見ない非常にユニークな研究施設です。
https://iconm.kawasaki-net.ne.jp/
センター・オブ・イノベーション (COI) プログラムについて
COIプログラムは、文部科学省・科学技術振興機構の下で進められている研究開発プログラムで、将来社会に潜在する課題から、現在取り組むべき異分野融合・連携型の研究開発テーマをバックキャストして設定しています。企業や大学だけでは実現できないイノベーションを産学連携で実現する拠点が全国に18か所設立されました。川崎拠点は、その中で唯一、大学でなく自治体系研究所が管理するCOI拠点であり、そこで実施する研究プロジェクトを、COINS (Center of Open Innovation Network for Smart Health) と呼んでいます。
COI: https://www.jst.go.jp/coi/
COINS : https://coins.kawasaki-net.ne.jp/
東京大学大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻について
バイオエンジニアリング専攻は、少子高齢化が進み、持続的発展を希求する社会において、人類の健康と福祉の増進に貢献することを目指します。本専攻では、この目的を達成するために、既存の工学及び生命科学ディシプリンの境界領域にあって両者を有機的につなぐ融合学問分野であるバイオエンジニアリングの教育・研究を推進します。バイオエンジニアリングの特徴は、物質・システムと生体との相互作用を理解・解明して学理を打ち立てるとともに、その理論に基づいて相互作用を制御する基盤技術を構築することにあります。生体との相互作用を自在に制御することで、物質やシステムは人間にとって飛躍的に有益で優しいものに変身し、革新的な医用技術が生まれることが期待されます。このようなバイオエンジニアリングの教育・研究を通じて、バイオメディカル産業を先導し支える人材を輩出するとともに、予防・診断・治療が一体化した未来型医療システムの創成に貢献することを目指します。
http://www.bioeng.t.u-tokyo.ac.jp/
2021年10月6日
Journal
Nature Biomedical Engineering