【研究の要旨とポイント】
- マクロファージは免疫細胞の一種で、がんの悪化に影響を与えることが知られていますが、マクロファージを調節する抗がん剤は例がなく、標的分子の発見と制御方法の開発が求められていました。
- マクロファージの動きに関わる細胞内タンパク質FROUNT(フロント)の働きを阻害することで、がん組織へのマクロファージの集積や活性化を抑制し、がんの増殖を抑えられることがわかりました。
- アルコール依存症の治療薬として認可、使用されている「ジスルフィラム(DSF)」が、FROUNTの働きを阻害し、がんを抑制できることを見出しました。既存の免疫チェックポイント療法との併用により、同療法の効果が出にくいがん細胞の増殖も抑えられることがわかりました。
- この成果を元にした非臨床研究は既に完了し、国立がん研究センター東病院にて臨床研究を実施中です(臨床研究実施計画番号:jRCTs031180183)。
【研究の概要】
東京理科大学生命医科学研究所の寺島裕也講師、遠田悦子客員研究員、大辻幹哉客員研究員、松島綱治教授ら、熊本大学大学院生命科学研究部の吉永壮佐講師および寺沢宏明教授ら、千葉県がんセンター研究所の奥村和弘研究員、板倉明司客員研究員、永瀬浩喜研究所長ら、東京大学創薬機構の小島宏建特任教授、岡部隆義特任教授ら、多機関共同研究グループは、免疫細胞の一種であるマクロファージの働きを制御する細胞内タンパク質FROUNT(フロント)を阻害することでがんを抑制できることを新たに発見し、Nature Communications誌に報告しました。
生体にとって異物であるはずのがん細胞は、マクロファージやリンパ球などによる生体の防御機構を巧みにかいくぐって増殖します。最近注目される免疫療法「免疫チェックポイント阻害薬」では、リンパ球を調節することで、一部の患者さんでは余命が大きく伸びました。しかし、この効果が見られない患者さんは全体の7割以上と多く、がん組織にマクロファージが多くみられる患者さんでは、免疫チェックポイント阻害薬によるがんの免疫療法の効果が出ないことが知られています。しかしながら、マクロファージを調節する抗がん薬はこれまでに例がありませんでした。
研究グループでは2005年に、マクロファージが体内を移動(遊走)する際に動きを制御する細胞内タンパク質としてFROUNT分子を発見、命名していました。今回の研究では、このFROUNT分子の生体における機能を明らかにする中で、FROUNTを欠損させたマウスではがん細胞の増殖が弱まっていること、マクロファージの数や活性化も減少していることを見出しました。ヒトにおいても、FROUNTの発現の低い患者さんでは、発現の高い患者さんと比較して手術後の予後が良いことがわかりました。そこでFROUNTを標的とした新たな抗がん剤の開発を目指し、およそ13万種類の化合物について創薬スクリーニングを行った結果、既存のアルコール依存症治療薬「ジスルフィラム(DSF)」がFROUNT分子内の特定の部位へ結合することで機能を阻害してマクロファージを調節して、がんを治療できることを発見し報告しました。
この成果をもとに、ジスルフィラムと免疫チェックポイント阻害薬を併用した新しいがん治療法の実用化を目指し、国立がん研究センター東病院にて臨床研究を実施中です(臨床研究実施計画番号:jRCTs031180183)。今後、臨床にて有効性が実証されれば、多くの患者さんに対して、FROUNT阻害薬を届けることができるようになります。
【研究の背景】
生体にとって異物であるはずのがん細胞は、マクロファージやリンパ球などによる生体の防御機構を巧みにかいくぐって増殖します。マクロファージは白血球の一種で、通常では病原体の排除など、生体の防御応答に働きます。しかし、がん組織のマクロファージは、がん細胞を排除するための免疫を抑制し、がん細胞の増殖を助ける性質に変化しています。このマクロファージを、腫瘍随伴マクロファージ(Tumor-associated macrophage: TAM)と呼びます。TAMはがん細胞を殺傷するリンパ球の働きを高める「PD-1抗体」などの免疫チェックポイント阻害薬の作用を打ち消す働きを持っており、がん組織にTAMが多くみられる患者さんでは、免疫チェックポイント阻害薬によるがんの免疫療法の効果が出ないことが知られています。しかしながら、マクロファージを調節する抗がん薬はこれまでに例がなく、調節のための標的となる分子の発見と、制御方法の開発が求められていました。
この研究グループが2005年に発見、命名したFROUNTは、マクロファージの持つ細胞内タンパク質の一つです。マクロファージは、体内の様々な臓器が自然に、または炎症を受けた時などに産生するケモカインという塩基性タンパク質を目印として体内を移動(遊走)します。FROUNTはマクロファージがケモカインを感知するためのケモカイン受容体に作用することで、マクロファージの遊走活性を制御しています。
研究グループでは今回、FROUNT分子の生体における機能を明らかにする中で、この分子を欠損させたマウスではがん細胞の増殖が弱まること、がんに集まるTAMの数や活性化が減少することを見出しました。ヒトに於いても、FROUNTの発現の低い患者さんは、発現の高い患者さんと比較して手術後の再発が少なく、生存期間が長いことがわかりました。そこで、このFROUNTの働きを阻害することで、がんに集まるマクロファージを調節する新しい機序の抗がん剤を着想し、開発研究を進めその成果を報告しました(Nature Communications 30th January 2020, https://doi.org/10.1038/s41467-020-14338-5)。
【研究の詳細】
本研究グループが注目したのは、マクロファージや、マクロファージの前駆体である単核球の遊走を制御する「CCL2 (1989年に松島教授が発見)」と呼ばれるケモカインと、CCL2を感知する受容体「CCR2」、そして「FROUNTタンパク質(寺島講師が発見:Nature Immunology 2005; 827)」です。動物実験の結果から、CCL2は受容体CCR2を持つマクロファージをがんへと誘引し、誘引されたマクロファージはTAMとしてがんの増殖を助けるようになることが既に分かっています。FROUNTはマクロファージに発現する別のケモカイン受容体、CCR5にも作用することを研究グループでは明らかにしており(Journal of Immunology 2009; 6387)、FROUNTはマクロファージに発現するCCR2とCCR5をデュアルに制御するユニークな制御分子です。FROUNTはケモカイン受容体との相互作用によって、マクロファージがケモカインを目指して進もうとする反応(走化性)の強さを制御しており、この相互作用は創薬のターゲットとなります(Biochemical Journal 2014; 313)。
特定の肺がんで治療を受けた40人の患者さんについて、FROUNT遺伝子の発現の強さと治療成績の関係を調べたところ、FROUNT遺伝子の発現が弱い患者さんのグループ(下位20名)は、発現が強い患者さんのグループ(上位20名)と比べ、手術後の再発が少なく、生存率も顕著に高くなっていました。そして異なる患者さんコフォートの解析でも同様の結果が確認されました。FROUNT遺伝子の発現強度は、がんの進行ステージには依存しておらず、また、他のがんの治療成績に関する統計をFROUNT遺伝子を基準として分析したところ、がんの種類が異なっても、肺がんの場合と同じ傾向がみられました。FROUNTタンパク質の発現、またはそれに伴うFROUNTタンパク質の働きを低減できれば、がんの種類や進行ステージに関わらず、治療成果や余命を改善できる可能性があることが示唆されました。
この研究グループでは副作用の軽減のため、FROUNTそのものではなく、FROUNTとCCR2の相互作用を阻害することで、マクロファージのがんへの集積を抑えるという戦略をとりました。およそ13万種類の化合物のスクリーニングを行った結果、アルコール依存症の治療薬として既に認可され長年使用されている安全で安価なジスルフィラムという化合物に、FROUNTとケモカイン受容体との相互作用を阻害する作用があることを見出しました。また、核磁気共鳴法(NMR)を利用して、FROUNT上のジスルフィラムが結合している部位を明らかにしました。ジスルフィラムをマウスに投与することで、マクロファージはがん細胞に集積しにくくなり、がんにおけるTAMへの分化や活性化が抑えられており、がん細胞の増殖が抑制されました。更に、免疫チェックポイント阻害薬が効きにくいがん細胞に対してジスルフィラムを併用したところ、抗腫瘍免疫応答の増強を介してがん細胞の増殖を相乗的に抑えられることもわかりました。
これらの成果を基にした非臨床研究は既に完了しており、現在は国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)にて、ジスルフィラムと免疫チェックポイント阻害薬との併用による臨床研究を実施中です。
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【今後の展望】
マクロファージは様々な疾患で問題になっていることから、幅広い疾患に対するFROUNT阻害薬の適用が期待されています。寺島講師は今後の展望について、以下のように語りました。「当研究グループでは、がん以外でもマクロファージが原因となっている様々な疾患について、この阻害薬の作用を明らかにしていく予定です。また、今回、マクロファージの動きを制御するタンパクとして発見したFROUNTは、細胞内で複数のケモカイン受容体の作用を調整する細胞内シグナル応答の中でも新しいカテゴリーに属するタンパク質であり、学術的にも新しい研究分野を開拓することが期待されます」
※ 本研究は、AMED革新的がん医療実用化研究事業(JP19ck0106422)、AMED次世代がん医療創生研究事業(P-CREATE, JP19cm0106204)、および科学研究費補助金の助成を受けて実施したものです。
Journal
Nature Communications