「健康と病気の発生起源説」(DOHaD説)は出生前後の環境がその後の生活習慣病のかかりやすい体質形成に繋がるとする説です。生活習慣病の多くはそれぞれの組織のミトコンドリア代謝の低下が知られています。熊本大学の研究者らが、ミトコンドリア代謝に関わる2つの酵素経路が、DOHaD説に関与している可能性を示しました。
すべての細胞は代謝酵素に関わる遺伝子発現をうまく調節して、栄養や酸素の供給、運動、温度などの環境変化に対して適応しています。正常の細胞は、酸素がある時に「ミトコンドリア代謝」(好気呼吸)、他方、酸素が乏しい時に糖を用いた「解糖」を使ってエネルギーを産生します。このようにエネルギー代謝の仕方が転換する際には、細胞の代謝遺伝子群の働きが大きく変化します。
一般的に、遺伝子の働きは、転写因子とゲノムの修飾(化学変化)の状態で決まります。とりわけ、修飾されたゲノムを「エピゲノム」とよんで、その修飾には、DNAが巻き付いているヒストンというタンパク質の修飾があります。その中でも、ヒストンの「リジン」と呼ばれる部位のアセチル化やメチル化は、エピゲノムの重要な修飾であり、修飾を付ける修飾酵素とそれを除く脱修飾酵素によってなされます。その重要な酵素に、脱アセチル化酵素「Sirt1」と脱メチル化酵素「LSD1」があり、細胞のエネルギー代謝を調節しています。
熊本大学の研究グループは、このSirt1とLSD1の2つの酵素を伝達する経路「NAD+依存性脱アセチル化酵素Sirt1(NAD+ –Sirt1)」と「FAD依存性リジン特異的脱メチル化酵素LSD1(FAD–LSD1)」が、特定の遺伝子群の働きを調節し、栄養シグナルが伝達されることに着目して比較検討してきました。これらの経路は食事性ビタミンやインスリンなどの栄養に関わるホルモンによって制御され、その結果、脂肪細胞や骨格筋などで代謝活性と組織特有の性質を形成することが報告されています。NAD+ –Sirt1は脂肪燃焼を誘導し、FAD–LSD1は脂肪蓄積を誘導します。
「健康と病気の発生起源説」(Developmental Origins of Health and Disease: DOHaD説)は、発育中の胎児や新生児(生後28日まで)・乳児(生後1年未満)が低栄養に曝された場合、それが成人期の健康および病気に罹りやすい体質形成に影響するという概念です。そのメカニズムは解明されていませんが、少なくとも2つの経路が時間差をおいて働くと考えられます。「即時の応答」では、蓄えた栄養分を消費して生命の維持を優先します。身体のサイズが抑えられる結果、低出生体重になります。次の「予測の応答」では、将来の飢餓に備えて、栄養を蓄えやすい体質を形成します。この順序で働くと、発生期の飢餓に対する合理的な生存戦略になるわけです。
「低出生体重児」が生後も低栄養の環境におかれれば、飢餓に強く有利に働きます。ところが、生後に十分な栄養を取れる環境におかれると、予測は外れて栄養を蓄えやすい体質は不適合をおこします。肥満、糖尿病などの生活習慣病に罹りやすくなります。つまり、将来の環境に適合すれば有益ですが、一方、不適合になると不利益になります。本論文では、「即時の応答」にSirt1が働き、「予測の応答」にLSD1が働いている可能性があることを指摘しました。
研究を主導した中尾教授は次のようにコメントしています。 「今回の学術的な考察は、現代社会で重要な課題とされる、生活習慣病、加齢による生体機能低下、受胎期の両親の生活環境、いわゆる体質(個体差)を理解して、新たな制御・予防法の開発に役立つことが期待できます。」
本研究成果は、科学ジャーナル「Trends in Endocrinology and Metabolism」に2019年5月28日に掲載されました。
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[Source]
Nakao, M. et al., 2019. Distinct Roles of the NAD+ –Sirt1 and FAD–LSD1 Pathways in Metabolic Response and Tissue Development. Trends in Endocrinology & Metabolism. Available at: http://dx.doi.org/10.1016/j.tem.2019.04.010.
Journal
Trends in Endocrinology and Metabolism