発表者
井上 純一郎(東京大学医科学研究所 分子発癌分野 教授、アジア感染症研究拠点北京拠点長)
山本 瑞生(東京大学医科学研究所 分子発癌分野 助教)
合田 仁(東京大学医科学研究所 アジア感染症研究拠点 特任講師)
松田 善衛(東京大学医科学研究所 アジア感染症研究拠点 特任教授)
川口 寧(東京大学医科学研究所 ウイルス病態制御分野 教授、アジア感染症研究拠点 拠点長、研究開発代表者)
発表概要
東京大学医科学研究所アジア感染症研究拠点の井上純一郎教授と山本瑞生助教は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の原因ウイルスである SARS-CoV-2が細胞に侵入する最初の過程であるウイルス外膜と細胞膜との融合を、安全かつ定量的に評価できる膜融合測定系を用いて、セリンプロテアーゼ阻害剤であるナファモスタットが、従来発表されている融合阻害剤に比べて10 分の1以下の低濃度で膜融合を阻害することを見いだした。
SARS-CoV-2が人体に感染するには細胞の表面に存在する受容体タンパク質(ACE2受容体)に結合したのち、ウイルス外膜と細胞膜の融合を起こすことが重要である。コロナウイルスの場合、Spikeタンパク質(Sタンパク質)がヒト細胞の細胞膜のACE2受容体に結合したあとに、タンパク質分解酵素であるTMPRSS2で切断され、Sタンパク質が活性化されることがウイルス外膜と細胞膜との融合には重要である。井上らはMERSコロナウイルスでの研究結果(参考文献2)をもとに、ナファモスタットやカモスタットの作用を調べたところ、ナファモスタットは1-10 nMという低濃度で顕著にウイルス侵入過程を阻止した。このことから、ナファモスタットはSARS-CoV-2感染を極めて効果的に阻害する可能性を持つと考えられる(本研究は国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)による感染症研究国際展開戦略プログラム(J-GRID)の支援を受けた)。
発表内容
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)が原因となる感染症(COVID-19)は、2019年暮れに中国・武漢で世界で初めて患者が確認されてから、2ヶ月あまりで世界152カ国に拡散し、世界保健機構(WHO)も2020年3月11日にパンデミックを宣言した。日本では、感染者の多くが無症候性キャリアもしくは軽症であるものの、重症化しさらに高齢者や基礎疾患がある人の場合には死に至ることがある。しかしながら現時点で効果が確認された治療薬は存在せず、その開発は急務である。既に全世界的にSARS-CoV-2の感染が拡大している現状を鑑みると、安全性が確認された既存の薬から治療薬を探すいわゆるドラッグリポジショニング(注1)は極めて有効と考えられる。
SARS-CoV-2などのコロナウイルスは、脂質二重層と外膜タンパク質からなるエンベロープ(外膜)でウイルスゲノムRNAが囲まれている。SARS-CoV-2はエンベロープに存在するSpikeタンパク質(Sタンパク質)が細胞膜の受容体(ACE2受容体)に結合したあと、ヒトの細胞への侵入を開始する。Sタンパク質はFurinと想定されるヒト細胞由来のプロテアーゼ(タンパク質分解酵素)によりS1とS2に切断される。その後S1が受容体であるACE2受容体に結合する。もう一方の断片S2はヒト細胞表面のセリンプロテアーゼであるTMPRSS2(注2)で切断され、その結果膜融合が進行する。HoffmannらによりSARS-CoV-2の感染にはACE2とTMPRSS2が気道細胞において必須であることが発表された(参考文献1)。
井上らは、2016年にMERS-CoV Sタンパク質、受容体CD26、TMPRSS2に依存した膜融合系を用いてセリンプロテアーゼ阻害剤であるナファモスタットが膜融合を効率よく抑制してMERS-CoVの感染阻害剤になることを提唱した(参考文献2)。そこで今回、293FT細胞(ヒト胎児腎臓由来:注3)を用いてSARS-CoV-2 Sタンパク質、受容体ACE2、TMPRSS2に依存した膜融合測定系(注4)を用いて、ナファモスタットがSARS-CoV-2 Sタンパク質による膜融合を抑制するかどうか検討した。その結果ナファモスタットは10から1000 nMの濃度域で濃度依存的に抑制した。つぎにACE2やTMPRSS2を内在的に発現し、ヒトで感染が起こるさいに重要な感染細胞と考えられる気道上皮細胞由来のCalu-3細胞(注5)を用いて同様の実験を行ったところ、さらに低濃度の1-10 nMで顕著に膜融合を抑制した。この濃度域はMERS-CoV Sタンパク質による膜融合に対する抑制濃度域とほぼ同じである。さらに井上らはナファモスタットと類似のタンパク質分解阻害剤であるカモスタットの作用を比較検討したところ、SARS-CoV-2 Sタンパク質による融合において、ナファモスタットはカモスタットのおよそ10分の1の濃度で阻害効果を示すことが明らかになった。
以上から、臨床的に用いられているタンパク分解阻害剤の中ではナファモスタットが最も強力であり、COVID-19に有効であると期待される。ナファモスタット、カモスタットともに膵炎などの治療薬剤として本邦で開発され、すでに国内で長年にわたって処方されてきた薬剤である。ナファモスタットは臨床では点滴静注で投与されるが、投与後の血中濃度は今回の実験で得られたSARS-CoV-2 Sタンパク質の膜融合を阻害する濃度を超えることが推測され、臨床的にウイルスのヒト細胞内への侵入を抑えることが期待される。カモスタットは経口剤であり、内服後の血中濃度はナファモスタットに劣ると思われるが、他の新型コロナウイルス薬剤と併用することで効果が期待できるかもしれない(本研究は国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)による感染症研究国際展開戦略プログラム(J-GRID)の支援を受けた)。
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用語解説
(注1)ドラッグリポジショニング
ヒトでの安全性や体内動態が臨床で充分に確認されている既存薬から、新たな薬効を見つけ出し実用化へつなげていこうとする試み。
(注2)TMPRSS2
Transmembrane protease, serine 2。細胞膜に存在するセリンプロテアーゼで SARS-CoV-2コロナウイルスSタンパク質は宿主受容体に結合後、TMPRSS2によるタンパク質分解を受けるとされており、このタンパク質による分解を受けないと膜融合能を獲得できない。ナファモスタットは TMPRSS2活性を阻害することでSタンパク質による膜融合を阻害して
いると考えられる。
(注3)293FT細胞
ヒト胎児腎臓由来の不死化細胞株で細胞増殖が速く遺伝子導入が簡便などの優れた性質を持つ。
(注4)膜融合測定系
膜融合測定にはDSP(Dual Split Protein)というレポーターを用いる。DSPは、分割レニラルシフェラーゼと分割GFPのキメラタンパク質(DSP1-7, DSP8-11)でそれぞれ単独では活性を持たないが、分割GFPドメインを介して自己会合しGFP 活性並びにルシフェラーゼ活性を回復する。この特性を用いて、それぞれを別々の細胞に発現させておくと、GFP 活性並びにルシフェラーゼ活性をもとにそれらの細胞間の融合を定量できる。293FT細胞(ヒト胎児腎臓由来)またはCalu3細胞(ヒト気道上皮由来)にDSP1-7, ACE2, TMPRSS2を発現させ、さらに片方の293FL細胞にはウイルスの持つSARS-CoV-2 Sタンパク質とDCP8-11を発現させた。293FT細胞はSARS-CoV-2 Sタンパク質、ACE2、TRMSS2のいずれもそのままでは発現していないことからこれらを人為的に発現させた。Calu3細胞はそのままでACE2とTMPRSS2を発現している。2種類の細胞を同時に培養し、膜融合が起こるとそれぞれの細胞が持っているレポータータンパク質が反応しあって蛍光と光を発することから、定量的に膜融合を観察することができる。この実験系で同定した融合阻害剤の標的がSARS-CoV-2 Sタンパク質、ACE2、TMPRSS2のいずれかであった場合、明確なPOC(Proof of Concept)を有することになる。
(注5)Calu-3細胞
ヒト肺がんから樹立されたヒト気管支上皮細胞由来の不死化細胞。呼吸器細胞の機能解析に使用されており、SARS-CoV2やMERS-CoVが実際に感染する細胞のモデルと想定できる。
参考文献
1.Hoffmann et al. Cell 181, 1-10 (2020)
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0092867420302294?via%3Dihub
2.Yamamoto et al. Antimicrob Agents Chemother 60, 6532-6539 (2016)
https://aac.asm.org/content/60/11/6532
Journal
Cell