1960年代、タスマン海に位置し、周りを海で囲まれた小さな火山性の岩柱であるボールズ・ピラミッドへ向かったロッククライミングの一団が、ある生物の生き残りに関する驚くべき物語の始まりともいえる重要な発見をしました。それは、およそ30年前に絶滅したと考えられていた、ロードハウナナフシと思われる生き物の新しい死骸でした。1918年に、ロード・ハウ島の近海で難破した船からクマネズミが侵入して島の生態系に影響を及ぼしたため、ロードハウナナフシはこの島から消えてしまったのです。島には固有の陸生哺乳類が存在していなかったことから、クマネズミは、ナナフシを絶滅に追い込んだばかりか、鳥類5種と12種のその他の昆虫を一掃したのです。このときの一団による発見後、2001年にボールズ・ピラミッドの調査が行われ、海抜65メートルの段丘の頂上に生育していた一本のフトモモ科ティーツリーの木を常食とする、複数の生きたナナフシを発見しました。その一年後の再調査では、前回と同じ場所に生えていたティーツリーの一群の周りに生息するナナフシ合計24匹を発見したのです。調査隊は、さらに研究を進めるためいくつかの個体群を持ち帰り、メルボルン動物園で飼育環境下での繁殖プロジェクトを開始しました。
しかしそこで、ボールズ・ピラミッドのナナフシが、絶滅したと考えられているロード・ハウ島のナナフシと果たして同一種のものかという疑問が残りました。なぜかというと、発見されたナナフシは、博物館の昆虫標本であるロード・ハウ島で採集された種とどこか違って見えたからです。この疑問を解くことは、彼らを本来の生息場所であるロード・ハウ島へ戻すか否かを決定する判断材料となるため、重要なことでした。
そこで、沖縄科学技術大学院大学(OIST)研究員らは、メルボルン動物園(Zoos Victoria)とオーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)のオーストラリア国立昆虫コレクションと共同で、次世代シーケンシングを行い、ボールズ・ピラミッドで発見された昆虫とロード・ハウ島の昆虫が同じ種であるかどうかを確認することに成功しました。こうして、絶滅したとされていたナナフシがこの度、正式によみがえり、この昆虫の保護に向けた動きに寄与することとなりました。この度、その結果が米国の学術誌カレントバイオロジー(Current Biology)に掲載されます。
OIST研究員らは、飼育繁殖されたボールズ・ピラミッドのナナフシの個体と、この種が絶滅したと発表される以前から保存されていた、CSIROオーストラリア国立昆虫コレクションのロードハウナナフシの標本の両方から集めたミトコンドリアゲノムを解析しました。研究員らはこれらのゲノムを比較し、両種について観察できる相違はあるものの、それぞれのDNAの違いは1%以下にとどまることを発見しました。この数字は種内変異の範囲内、つまり両種は同一種であると言明できるほど類似していることを示しています。
「今回においては、我々はこの生き物を永久に失ってはいなかったということでは幸運でした。けれども、本来ならそうなっていたはずです。」本論文の筆頭著者で、OIST生態・進化学ユニットを率いるアレクサンダー・ミケェエヴ准教授が話します。「もう一度チャンスを与えられたと言えるでしょう。しかしこれは、めったに起こることではありません。」
現在、ロード・ハウ島のクマネズミ根絶に向け政府と市民より強力な支援態勢が整ったことで、ロードハウナナフシをもとの生息場所へと連れ戻せる好機の到来となりました。研究によって収集された遺伝子データは、野生復帰した後の個体群に関しても、その健康状態や繁殖の記録を追うことにも役立ちます。
本研究の成功は、単にナナフシの存続に関することだけにかかるものではないとミケェエヴ准教授は指摘します。例えばこの事例は、次世代シーケンシングを用いることで、博物館の昆虫標本が遺伝子を記録した情報の宝庫であったという結果を示しました。これまで研究者にとっては、標本は観察するだけに過ぎなかった、あるいは徹底した研究を行うということは、同時に標本を傷つけてしまう危険を伴うことでもあったからです。それが今、長い間失われている種の全ゲノムをもシーケンスすることが可能になったのです。
加えて、この研究の中で重要な位置を占めることになったロードハウナナフシの再発見物語は、環境保護を訴える重要なメッセージとなりました。「ナナフシの物語は、島の生態系がいかにもろいか、特に侵略的外来種のような人間が関与した変化に対しいかに脆弱であるかが提示されました。」ミケェエヴ准教授が語ります。「たった一艘の難破船が、島の動物相をもこのように根本から大きく変えてしまうのです。」
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数々の賞を受賞したロードハウナナフシの再発見物語のアニメ動画映像はこちら。
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Current Biology