熊本大学の研究グループは、女性ホルモン「エストロゲン」の受容体の1つであるエストロゲン受容体β(ERβ)に着目し,筋線維特異的または筋幹細胞特異的ERβ遺伝子欠損マウスを作出し,解析しました。その結果,ERβの機能が阻害された雌性マウスは,骨格筋の発育・再生に異常が観察されました。この異常は雄性マウスではみられないことから,エストロゲンとその下流シグナルは女性特有の筋発育・再生メカニズムになると考えられます。
骨格筋は生後,発育・発達し,筋量は20代でピークを迎え30代から徐々に低下していきます。しかし,筋力トレーニング等により骨格筋に負荷をかけることで筋肥大を誘導し,筋量を維持・増加させることができます。一方,骨格筋は,過度な運動や打撲等により損傷しますが,損傷しても再生します。このような骨格筋の肥大や再生には,筋線維の周囲に存在する筋幹細胞の働きが欠かせません。筋幹細胞の機能異常は,サルコペニアや筋ジストロフィーなどさまざまな筋脆弱症と関連すると考えられています。近年,骨格筋の基礎研究は急速に進んでいるものの,そのほとんどの研究は性周期のない雄性動物を用いたものであり,性差はあまり考慮されていませんでした。
女性ホルモンであるエストロゲンは,さまざまな組織・臓器の恒常性を維持しています。したがって,過度なダイエット等による無月経や閉経によるエストロゲン濃度の低下は,生体恒常性の乱れにつながります。エストロゲンは細胞内にあるエストロゲン受容体(ER)と結合すると,核内移行し,ゲノムDNAに結合することで,転写因子として特定の遺伝子の発現を誘導します。ERは,ERαとERβの2種類が存在しますが,ERαとERβはともにエストロゲンに対する高い結合能がある一方,組織分布は異なり,共通したDNA結合ドメインを有しておらず,互いに拮抗する作用もあるため,それぞれ異なる役割が示唆されています。また,エストロゲンの細胞への作用は,ERを介するものと介さないものがあることが知られています。
50代の閉経前後の女性を対象とした疫学調査から,血中エストロゲンレベルの減少と筋力低下の関連が指摘されています。熊本大学の研究グループはこれまでに,骨格筋におけるホルモンの作用を調べており(Seko et al., FASEB J 2016),卵巣摘出によるエストロゲン欠乏モデルマウスを用いて,エストロゲンが骨格筋の発育・発達や再生に重要であることを明らかにしてきました(Kitajima and Ono, J Endocrinol 2016)。また,エストロゲン欠乏状態での栄養介入の有効性についても検討してきました(Kitajima et al, Nutrients 2017)。しかし,エストロゲンが筋線維や筋幹細胞のERに直接的に作用して骨格筋の成長や再生を支配しているのか,それとも他の組織や臓器を介し間接的に作用しているのかは不明でした。そこで今回本研究グループは,筋線維特異的あるいは筋幹細胞特異的にERβ遺伝子を誘導的に欠損できるマウスを作出し,骨格筋におけるERβの機能解析を行いました。
骨格筋の発育におけるERβの役割を明らかにするために,筋線維特異的に薬剤(ドキシサイクリン)投与によってERβ遺伝子を欠損できる(mKO)マウスを作出しました。生後6週目にERβ欠損を誘導し,10-12週目に前脛骨筋の筋線維面積と筋力を調べたところ,雌性mKOマウスは野生型と比べて両指標ともに低下していました。この骨格筋の発育低下は,雄性マウスでは観察されませんでした。筋萎縮関連遺伝子の発現を調べたところ変化がなかったことから,雌性マウスの骨格筋の発育低下は筋萎縮の亢進ではないと考えられます。また,卵巣摘出によるエストロゲン欠乏マウスでは,筋の発育低下に加え,速筋線維の割合が相対的に増える筋質の変化をともなうことが知られていますが(Kitajima and Ono, J Endocrinol 2016),本研究ではmKOマウスでそのような質的変化はみられませんでした。したがって,エストロゲンは,筋線維に発現するERβを介して筋線維の発育を促進する直接作用がある一方,筋線維の質に関してはERβを介さずに制御している可能性が示唆されました。
続いて,筋幹細胞におけるERβの機能を明らかにするために,筋幹細胞特異的に薬剤(タモキシフェン)投与によってERβ遺伝子を欠損できる(scKO)マウスを作出しました。まず,局所的に筋損傷を誘導し,scKOマウスの筋再生能を評価しました。その結果,野生型マウスでは効率よく筋再生が起こる一方,雌性scKOマウスの筋組織では,再生筋線維は細く,コラーゲン沈着による線維化がみられ,筋再生力は著しく低下していました。しかし,雄性scKOマウスの筋再生は障害されませんでした。なお,雌の筋再生障害は,卵巣摘出によりエストロゲンを欠乏状態にしても増悪しなかったことから,エストロゲンは筋幹細胞が発現するERβを介して筋再生を制御していると考えられます。
さらに,筋再生能の低下の原因を探るために,筋幹細胞を単離し,細胞培養系で評価しました。scKOに加えsiRNAや阻害剤などを用いた複数の機能阻害実験によりERβの機能を評価したところ,ERβは筋幹細胞の増殖の促進と細胞死の抑制に寄与していることがわかりました。RNA-seq解析により遺伝子発現を調べたところ,scKO 筋幹細胞において,幹細胞の性質維持に必要な「ニッシェ」関連遺伝子発現が減少していました。細胞老化関連遺伝子の発現増加も観察されましたが,細胞老化マーカーであるSA-β-gal染色では変化がみられませんでした。したがって,ERβの不活性化によって幹細胞ニッシェの形成が阻害されることで筋幹細胞の増殖や生存に影響を与えた可能性が推察されます。
本研究から,雌性マウスのERβは筋線維および筋幹細胞の双方で機能し,骨格筋の発育と再生に重要な役割を担っていることを初めて明らかにしました。一方,雄性マウスのERβの発現量は雌性マウスと同程度にあるにもかかわらず,雄性マウスにおけるERβの役割は未解明であり今後の課題です。
研究を主導した小野悠介准教授は次のようにコメントしています。 「女性アスリートにおいて過酷なトレーニングや過度なダイエット等により誘発される無月経は,女性アスリートの3主徴「利用可能なエネルギー不足,無月経,骨粗鬆症」の1つとして世界的に問題になっています。本研究による動物実験の所見を直接ヒトに応用することはできませんが,無月経におけるエストロゲンの減少は,筋線維や筋幹細胞のERβ活性を抑制し,運動パフォーマンスの低下に加えスポーツ障害からの回復の遅延を招く可能性があるため,女性アスリートにとって極めて不都合な状態に陥る危険性を示唆しています。また本研究から女性特有の筋老化のメカニズムにERβの関連が見出されました。最近では培養細胞系でエストロゲンシグナルを増強すると顔面肩甲上腕型筋ジストロフィーの病態を緩和できる可能性が報告されています。今後,本研究グループはERβやその下流シグナルを標的としたサルコペニアや筋ジストロフィーの病態解明と治療開発へ展開していく予定です。」
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本研究成果は,国際幹細胞学会の学会誌Stem Cell Reportsのオンライン版に令和2年8月21日 (日本時間) に掲載されました。
Source:
Seko, D., Fujita, R., Kitajima, Y., Nakamura, K., Imai, Y., & Ono, Y. (2020). Estrogen Receptor β Controls Muscle Growth and Regeneration in Young Female Mice. Stem Cell Reports. doi:10.1016/j.stemcr.2020.07.017
Journal
Stem Cell Reports