News Release

β2アドレナリン受容体シグナルの活性化が、がんの悪性化を抑制することを発見

副作用の少ない口腔がんの新規治療法の開発に期待

Peer-Reviewed Publication

Tokyo Medical and Dental University

Activation of β2-adrenergic receptor signals inhibit progression of oral cancer by suppressing mesenchymal phenotypes

image: In this study we identified isoxsuprine, a β2-adrenergic receptor agonist as an effective inhibitor of mesenchymal phenotypes and migration of oral squamous cell carcinoma cells suggesting that β2-adrenergic receptor signal is a new promising therapeutic target for treatment of oral cancer. view more 

Credit: Department of Biochemistry,TMDU

 東京医科歯科大学 大学院医歯学総合研究科 硬組織病態生化学分野の渡部 徹郎教授と井上 カタジナアンナ助教と榊谷 振太郎大学院生(顎口腔外科学分野)の研究グループは、東京医科歯科大学 大学院医歯学総合研究科 顎口腔外科分野の原田 浩之教授と生体材料工学研究所 薬化学分野 影近 弘之教授との共同研究で、β2 アドレナリン受容体作動薬であるイソクスプリンが口腔がん細胞の悪性化と腫瘍形成を抑制することを見出しました。この研究は国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)次世代がん医療創生研究事業(P-CREATE)「口腔がんの微小環境ネットワークを標的とした新規治療法の開発」(研究開発代表者:渡部徹郎)、文部科学省科学研究費補助金等の支援のもとでおこなわれたもので、その研究成果は国際科学誌Cancer Science に、2020 年11 月19 日午前3 時(米国東部時間)にオンライン版で発表されました。

【研究の背景】

 口腔がんでは早期から頸部リンパ節に転移して急速に進行する悪性度の高いものがあり、遠隔臓器への転移が主な死亡の原因となっています。口腔がんの9 割を占める口腔扁平上皮がん細胞はトランスフォーミング増殖因子β (transforming growth factor-β:TGF-β) シグナルにより上皮間葉移行(EMT)を起こし、転移を起こします。EMT は上皮系形質を有するがん細胞がその細胞間結合性を失い、高い運動能などの間葉系形質を獲得するという、がんの悪性化を誘導するプロセスで、近年では完全に間葉系形質を獲得する以前の部分的なEMT(partial EMT)の状態が腫瘍形成能や薬剤耐性を誘導するということが報告されています。  したがって、TGF-βシグナルの阻害作用がある低分子化合物はがん治療効果を有することが期待されていますが、一方で正常細胞の増殖を抑制する作用を持つTGF-βシグナルを阻害することは正常細胞をがん化させるリスクを伴っています。このことから、TGF-βシグナルを阻害せずに、EMT だけを抑制する新規治療薬の開発が望まれていました。

【研究成果の概要】

 ヒト口腔扁平上皮がん細胞株SAS ではTGF-βの添加によりEMT が起こる一方で、TGF-β阻害剤により間葉系細胞の性質が低下し、細胞の運動能が低下するという間葉上皮移行(MET)が起こることが報告されています。本研究グループはこのSAS 口腔がん細胞株の特性を利用し、生体材料工学研究所が有するライブラリーを用いてMET を誘導する低分子化合物をスクリーニングした結果、イソクスプリン(イソクスプリン塩酸塩)を同定しました。イソクスプリンは末梢血管拡張作用や子宮鎮痙作用を示す薬剤として、一般に用いられています。SAS 口腔がん細胞株を用いた解析により、イソクスプリンがTGF-β阻害剤と同様にEMT によって上昇する細胞運動能を低下させることが明らかになりました。また、このEMT 抑制作用がTGF-βシグナルを阻害することによるものではないことも示されました。イソクスプリンはβ2アドレナリン受容体に結合することが知られていまが、イソクスプリンのEMT 抑制作用がβ2 アドレナリン受容体シグナルを介することが、薬理学的そして遺伝学的な解析を用いて明らかになりました。さらに個体レベルでの腫瘍形成に対するイソクスプリンの作用を検討するため、免疫不全マウスを用いたSAS 口腔がん細胞による腫瘍形成試験を行った結果、イソクスプリンの投与は有意に腫瘍形成を抑制することが示されました。以上の結果からイソクスプリンが口腔がんの治療に有効であることが明らかになりました。

【研究成果の意義】

 近年、舌がんを含む口腔がんによる死亡者は増加しており、有効な治療法の開発は急務です。口腔がんによる主要な死因である転移を抑制できる治療法にはまだ有効なものがなく、転移の原因となるEMT を標的とした治療薬の開発が望まれていました。これまでβ2 アドレナリン受容体シグナルを活性化することで口腔扁平上皮がん細胞のEMT を抑制するという報告はなく、今回の研究成果はがん転移をはじめとした様々な疾患の要因となるEMT の分子機序解明に寄与するとともに、EMT を標的とした場合の正常組織のがん化という副作用のリスクが少ない新たながん治療法の開発へ応用されることが期待されます。

【用語の説明】

※1β2 アドレナリン受容体作動薬:アドレナリンを始めとするカテコールアミン類によって活性化されるアドレナリン受容体にはα1・2、β1〜3 の5 つのサブタイプが存在するが、β2 アドレナリン受容体に選択的に直接作動して活性化するものを指す。アドレナリンは強心、昇圧、気管支拡張などの作用を発揮し、臨床的には、心停止時に用いたり、気管支喘息発作時の気管支拡張薬などとして用いられる。

※2イソクスプリン:β2 アドレナリン受容体に作動する血管拡張薬である。血管拡張作用により脳・末梢の血液循環動態を改善し、子宮筋弛緩作用により子宮筋の収縮・痙攣を改善する。通常は切迫流・早産や月経困難症などの治療に用いられる。

※3上皮間葉移行(epithelial-mesenchymal transition : EMT):上皮細胞が間葉系細胞へと分化する過程で、細胞は細胞間接着分子であるE-カドヘリン (E-cadherin) やクローディン-1 (Claudin-1) などの発現を消失し、ビメンチン (Vimentin) や平滑筋 α–アクチン(Smooth Muscle α–Actin, SMA) などの発現や高い運動・浸潤能などの間葉系細胞の形質を獲得する。EMT は発生過程で見られる生理的な現象だが、組織の線維化や、がん転移などの病態の進展にも関与する。また、間葉系細胞が上皮細胞へ移行する過程を間葉上皮移行(mesenchymal epithelial transition, MET)という。

※4トランスフォーミング増殖因子β(transforming growth factor-β:TGF-β):線維芽細胞の形質転換を促進する因子として同定されたが、現在では多くの種類の細胞に対して増殖抑制作用を有することが明らかになっている。さらに、細胞の分化・運動などにも関与し、個体発生やがんの浸潤・転移など様々な病態生理学的現象において重要な役割を果たすことがわかっている。

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