東京医科歯科大学教養部生物学教室の服部淳彦教授と松本幸久助教の研究グループは、上智大学理工学部の千葉篤彦教授との共同研究で、メラトニンの代謝産物であるAMKがマウスの長期記憶形成を促進することをつきとめました。この研究は文部科学省科学研究費補助金のもとでおこなわれたもので、その研究成果は、生理学分野で世界最高峰の国際科学誌であるJournal of Pineal Researchに、2020年11月21日にオンライン版で発表されました。
【研究の背景】
加齢に伴う記憶障害や認知症の問題は、高齢化が進む日本において喫緊の課題であります。記憶力促進物質については世界中で探索が行われていますが、残念ながら決定打となるようなものは見つかっていません。松果体から夜間に分泌され体内時計の調節因子として知られるメラトニンが、ヒトにおいて認知症を改善することはすでに報告されていますが、それらはメラトニンの長期投与による抗酸化作用によるものです。メラトニンは脳内においてN1-acetyl-5-methoxykynuramine(AMK)という物質に代謝されますが、この物質の機能についてはほとんどわかっていません。そこで研究グループは、AMKの学習・記憶形成に対する作用について検討を行いました。
【研究成果の概要】
研究グループは、マウスの学習・記憶に対するAMKの効果を物体認識試験※1によって評価しました。物体認識試験は、新しいものを好むというマウスの性質を利用した試験です。2つの同じ物体を記憶させ、一定時間後に片方を新しい物体に入れ替えるという試験で、その時に古い物体を覚えていれば、新しい物体にひきつけられることになります。つまり、新しい物体を探索する時間、記憶スコア(Discrimination Index:DI値※2)を測定することで、記憶が形成されたかどうかがわかります。この試験は罰や報酬といった強い刺激を与えないことから、人が日常経験する学習・記憶と類似した記憶であると考えられています。
マウスにAMKを投与し物体認識試験を行ったところ、学習前(1時間前から)、学習直後および学習後(2時間後まで)に1回投与するだけで、24時間後の長期記憶が形成されることが分かりました。いくつかの実験から海馬(記憶に重要な脳の部位)において、メラトニンはAMKに変換されること、またこのAMKは、形成された短期記憶が消失しないうちに作用することで記憶を固定し、長期記憶への移行を促進する物質であることが明らかになりました。また、マウスも加齢によって記憶力は顕著に低下していきますが、AMKは老年マウスで低下した記憶形成能力を改善することもわかりました。今回の結果は、メラトニンには抗酸化作用による記憶障害の抑制効果がある一方、AMKに変換されて長期記憶を誘導する作用があることを示しています。
【研究成果の意義】
本研究によって、メラトニンの代謝産物であるAMKは長期記憶形成に重要な因子であることが分かりました。メラトニンは海外では体内時計を同調するサプリメントとして広く利用されており、人において副作用がほとんどないことがわかっています。高齢者の生活の質(QOL)の向上においては、記憶障害の改善は重要な問題ですが、AMKは加齢に伴う記憶障害や認知症の前段階とされる軽度認知障害(MCI)における学習・記憶の改善薬として用いられることが期待されます。また、学習後の1回の投与で効果があったことから、記憶をしたい出来事が起こった後に服用することで、記憶力増強剤としての利用の可能性もあります。さらに人以外では、何度も訓練が必要な警察犬や盲導犬の学習時の利用が考えられ、今後の展開が楽しみな物質です。
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【用語解説】
※1物体認識試験 マウスの持つ新規探索傾向を利用した、強い刺激を用いない学習記憶試験。
※2 DI値 物体認識試験における合計探索時間のうち新規物体を探索した時間の割合。学習させた物体を記憶している場合、その値は有意に50%より高くなる。
Journal
Journal of Pineal Research