本研究成果のポイント
- 神経細胞の活動に応答した転写因子[1]の動態を1分子レベルで捉えることに初めて成功
- これまで脳の活動に応答して神経細胞の特定の遺伝子が活性化する仕組みを直接観察した報告はなかったが、1分子イメージング技術を応用して転写因子を可視化することで可能に
- 脳機能に繋がる分子の振る舞いの理解が進展することに期待
リリース概要
大阪大学大学院生命機能研究科の菅生紀之助教、北川宏信大学院生、山本亘彦教授らの研究グループは、脳機能の基盤となる神経細胞の核内で記憶・学習を司る転写因子CREBを1分子レベルで定量計測することに世界で初めて成功し、神経活動に応答した遺伝子の活性化に重要な動態を明らかにしました。
神経細胞で特定の遺伝子のスイッチが入り学習・記憶が生じるのは、脳に繰り返し刺激が入り、タンパク質産生が増加することが要因と考えられていますが、その遺伝子スイッチの仕組みについては判っていませんでした。
今回、本研究グループは、1分子イメージング技術を応用してそれを司るタンパク質の1つである転写因子CREBを可視化して観察することで、神経活動に応答したCREBの振る舞いを1分子レベルで捉えることに初めて成功しました。
これにより、脳機能に繋がる遺伝子スイッチの分子の振る舞いの理解が進展し、子供の記憶・学習メカニズムが解明されることが期待されます。
研究の背景
脳において神経細胞は、ネットワークを形成しシナプスを介した電気的活動により脳機能の基盤を成しています。この神経活動が繰り返されると神経細胞そのものにも影響を及ぼし、特定の遺伝子のスイッチが入りタンパク質産生が増加することで細胞の形態や生理学的特性を変化させ、ネットワークの精緻化に繋がることによって学習・記憶が生じると考えられています。このような脳の機能も神経細胞を構成するタンパク質の振る舞いによって記述できると考えられていますが、その実態は不明な点が多く残されています。
記憶・学習を司る遺伝子として転写因子CREBはよく知られており、この遺伝子が欠損したマウスでは記憶・学習能力が低下し、反対に過剰に産生させた場合には能力の向上が報告されています。脳に繰り返し刺激が入ることによりCREBを介して特定の遺伝子の転写を活性化することは知られていましたが、核内のCREBのどうような動きがスイッチとなってコントロールされているのかは不明でした。
この問題を明らかにするために、本研究グループは、同研究科の柳田敏雄特任教授(常勤)らのグループと協力し、生きた神経細胞の核内でその過程を1分子レベルで計測する研究を行いました。
培養したマウス大脳皮質神経細胞でCREBだけを蛍光色素で標識して高感度カメラを装着した斜光照明蛍光顕微鏡[2]で観察を行ったところ、CREBは染色体DNAの特異的に認識する塩基配列に数秒間結合することが示されました。さらに、神経活動を光遺伝学[3]の手法で活性化させた場合には、その結合の性質を大きく変化させることはありませんが、限局された核の領域(ホットスポット)に頻度高く結合を繰返すことが分かりました(図)。
以上のことから、神経活動に応答したCREBの動態を1分子レベルで捉えることに初めて成功しました。特定の遺伝子に頻度高く結合を繰返すことよって転写を促しタンパク質を産生することで、神経ネットワークを調節していることが示唆されます。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
遺伝子スイッチの仕組みが明らかになったことで、今後、記憶・学習に繋がる神経ネットワークの精緻化が進むことが示唆されます。また、本実験の方法を他の数多くのタンパク質の動きの計測に応用することで、『脳の機能を分子の動きとして理解する』ことの大きな進展が期待されます。
研究者のコメント
脳機能を分子レベルで理解する上で、神経活動に応答した遺伝子発現制御の時空間的な動態を直接見て調べることが重要であると考えています。
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用語解説
※1 転写因子
細胞内のシグナルに応答して染色体DNAの特異的塩基配列を認識して結合することで遺伝子の転写調節を行うタンパク質。
※2 斜光照明蛍光顕微鏡
細胞に傾斜したシート状の励起照明を行うことで、細胞内の1分子蛍光を検出できる顕微鏡。
※3 光遺伝学
励起光に応答して開閉するイオンチャネルを特定の神経細胞に発現させることで、従来の電気刺激ではなく光を刺激として神経活動をコントロールする方法。