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17世紀の日本国産ワイン醸造は何故終わったのか?

細川家による葡萄酒製造の下限を示す寛永9年(1632)

Kumamoto University

Research News

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IMAGE: 1627年から始まった日本国産葡萄酒醸造は、細川家の国替えをきっかけに終了したと考えられる。
熊本大学永青文庫研究センター... view more 

Credit: Professor Tsuguharu Inaba

熊本大学の研究者らが、小倉藩主細川家における葡萄酒醸造が、寛永9年にも行われていた可能性を明確に示す史料を発見しました。葡萄酒醸造を命じる記述の見つかった寛永9年は、細川家が小倉藩から肥後藩へと移った年であり、細川家が葡萄酒を造らなくなった理由として、「葡萄酒がキリシタンの飲み物であった」ことに加えて、豊前から肥後への国替えが直接的契機であったことが明らかになりました。

熊本大学の研究グループは、古文書の解析によるこれまでの研究で、寛永4年(1627)から寛永7年(1630)までの4年間、小倉藩主細川家が葡萄酒を造っていたことを明らかにしています。これは、当時の当主細川忠利が、南蛮(西洋)の技術を身に付けた家臣に命じ、現在の福岡県京都郡みやこ町で「薬酒」として製造させたものです。山葡萄の一種ガラミを原料に、黒大豆を使って発酵させ醸造した葡萄酒になります。現在、文献上明確に確認できる最古の日本産ワイン醸造を示す記述です。

ただし、寛永8年以降の葡萄酒製造の史料は発見されていないところから、製造期間を寛永4年から7年までの4年間と想定し、さらに葡萄酒を造らなくなった原因を、当時は葡萄酒が「キリシタンを勧めるときの飲み物」と認識されており、幕府のキリシタン宗門禁令が厳しくなる中、葡萄酒製造が危険視されたためではないかと考えました。

ところが、このほど永青文庫史料の中から新たに、小倉藩で寛永9年にもまた同じように葡萄酒が造られた可能性を明確に示す史料が発見されました。これは、細川家による葡萄酒製造期間の下限を示す史料である可能性が極めて高いものです。発見されたのは、寛永9年(1632)「奉書」(10.7.13)の8月20日の一条です。「奉書」は、細川家惣奉行(奉行組織のトップ)が殿様(細川忠利)の命令を控えた史料です。

------------------- [原文] 一、ぶだう酒御作せ可被成候間、がらミをとらセ上田太郎右衛門所へ遣可申旨、則太郎右衛門を以被仰出候事、

[現代語訳] 一、葡萄酒を造らせるので、ガラミを採らせて上田太郎右衛門のところへ持っていかせるようにとの殿様の命を、太郎右衛門自身が奉行所に伝えてきた。 -------------------

上田太郎右衛門は南蛮の技術を身に付けた家臣で、寛永4年から葡萄酒を造っていた人物です。彼は寛永9年8月にも直接忠利から葡萄酒造りを命じられ、また原料のガラミの調達を惣奉行に依頼するよう指示されたのです。この一条には合点(惣奉行が殿の命令を承知した旨の印)が付けられていて、次のように書かれています。

------------------- がらミ、太郎右衛門へ渡候、 -------------------

以上から、寛永9年8月、葡萄酒製造担当の上田太郎右衛門を通してガラミの調達が、殿様(忠利)の命令として惣奉行に伝えられ、惣奉行が確かに葡萄酒の材料のガラミを採らせ、太郎右衛門に渡した事実が判明します。

今回発見された史料は、実際に葡萄酒が出来上がったところまで記述しているわけではありません。しかし、上田太郎右衛門による葡萄酒の醸造は10日間ほどでなされたことが分かっているので、遅くとも寛永9年9月初めには葡萄酒が出来上がったと考えられます。細川忠利の熊本入城は12月9日のことです。

肥後に国替えになる直前まで、細川家は葡萄酒を製造していました。肥後での葡萄酒製造を示す史料は現在のところ確認されていません。細川家が葡萄酒を造らなくなった理由は、「葡萄酒がキリシタンの飲み物であった」ことに加えて、豊前から肥後への国替えが直接的契機であったことが明らかになったのです。

細川家は南蛮勢力に直面する肥後に移るとすぐ、キリシタン弾圧の最前線に立ち、それは寛永14年の「島原・天草一揆」鎮圧のための出兵へと結び付いていきます。キリシタン禁制の厳格化とキリシタン一揆勃発、そして弾圧という時代の激動のなかで、17世紀の国産葡萄酒の歴史は幕を閉じるのです。

(参考) 熊本大学プレスリリース「400年前の国産ワイン醸造の詳細が明らかにー永青文庫史料の研究調査により薬用アヘンの製造も確認」(2018年4月2日) https://www.kumamoto-u.ac.jp/whatsnew/zinbun/20180402

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*永青文庫研究センター

熊本大学附属図書館では、「永青文庫細川家資料」(約 58,000 点)や細川家の筆頭家老の文書「松井家文書」(約 37,000 点)の他、家臣家や庄屋層の文書群計 10 万点あまりが寄託・所蔵されており、永青文庫研究センターではこれらの資料群について調査分析を行っています。 ※「永青文庫研究」は熊本大学永青文庫研究センター発行の紀要です。入手を希望される方は永青文庫研究センターまでご連絡ください。

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