新たな降水量記録から、西暦6世紀にアラビア南部を襲った長期の干ばつが、社会や政治に大きな変化をもたらし、イスラム教勃興の一因になったことを示唆する証拠が得られた。約300年にわたり、ヒムヤル王国は古代アラビアで強大な勢力を誇っていた。その経済は、農業と貿易に基づいており、東アフリカと地中海の国々をつなぐものであった。しかし、その地域におけるヒムヤル王国の政治的・経済的・宗教的支配力は6世紀初頭に低下し、ついに525年、アクスム王国の攻撃を受けて滅亡する。ヒムヤル王国の滅亡後、政治は混乱し、社会経済は変化し、かつて王国の人々を支えた大規模な灌漑設備は放棄された。こうした変化によって、アラビアの主要な国体が次々と損なわれ、7世紀初頭にイスラム教が誕生する準備が整ったというのが通説である。こうした社会の激変は、社会政治的な要素に注目して説明されてきた。しかし、アラビア南部地域は干ばつが多く、その経済が雨水を使う灌漑農業に頼っていたことを考えれば、ヒムヤル王国は長期の乾期に対して脆弱だったと考えられる。それにもかかわらず、干ばつがヒムヤル王国衰退の一因だったと見なされることは少ない。今回、Dominik Fleitmannらは、中東と東アフリカの水文的・歴史的・考古学的記録と、オマーン北部の石筍から新たに得られた高精度の降水量記録を組み合わせた。Fleitmannらは、この地域は6世紀を通して干ばつに見舞われ、500~530年の乾燥が最も厳しかったことを示した。著者らによると、アラビア南部で乾燥がピークになった時期と、ヒムヤル王国が突然滅亡した時期が一致していることから、これら2つの出来事の関連性が示唆されるという。Fleitmannらは、この相関性は必ずしも因果関係を示すものではないと強調しているものの、雨水に頼る農業を行っていた地域で6世紀に長期の干ばつが起こった時期と、アラビアが歴史の転換期を迎え、政治的・社会宗教的な変革が数十年にわたり続いた時期は一致している。
Journal
Science
Article Title
Droughts and societal change: the environmental context for the emergence of Islam in late Antique Arabia
Article Publication Date
17-Jun-2022