この度、沖縄科学技術大学院大学(OIST)の研究者らが、将来の量子計算に不可欠な技術となる量子情報を長期間記憶できる仕組みを発見しました。本研究成果は米国物理学会が発行するフィジカル・レビュー・レター誌に掲載されました。
原子レベルのミクロな粒子を使って演算や記憶する量子計算は、従来のコンピュータをはるかに凌ぐ速度で重要な問題を解くことができると期待されています。
量子計算を実現するためには、演算に必要な量子状態を長時間維持させることのできるシステムが必要です。実際には、わずか1000分の1秒といった極めて短い時間枠ではあるものの、極小サイズの粒子は周囲からの影響を受けやすく、粒子の動きがほんのわずか乱れただけでも計算に大きな狂いが生じてしまいます。
こうした課題を解消しようと、量子記憶の実現に向けて有力視されているのが原子核です。これは、原子核が周囲からの影響を受けにくい性質を持っているためです。しかしこのことは、安定した状態を保とうとする原子核を操作するのは極めて困難だということです。原子核の制御に多くの物理学者が腐心してきましたが、目に見える成果はほとんど上がっていません。
「通常の物質では、原子核を直接制御することは非常に困難です」と、OISTの量子ダイナミクスユニットを率いるデニス・コンスタンチノフ准教授は言います。
そこでOIST研究チームは、原子核を直接制御する代わりに、原子核と他の物質との間の「仲介役」を担う粒子、すなわち原子核の周りを周回する電子に焦点を当てました。
原子核は内部に「磁気モーメント」と呼ばれる小さな磁石を持っています。原子核の周りを周回する電子もまた、原子核のものと比べて約1000倍の大きさの磁気モーメントを持っています。原子核内と電子内の磁気モーメントは互いに共鳴し合い、両者の間には「超微細相互作用」と呼ばれる相互作用が働きます。
超微細相互作用の強度は物質によって異なります。OISTの研究チームは、マンガンなどから成る結晶には強い超微細相互作用が生じることを発見しました。この発見をもとに、まずは電子を制御することで原子核の操作を可能にしました。
量子計算における情報伝達は光子によって行われています。光子は可視光を構成する個々の粒子であると同時に、紫外線やマイクロ波など目に見えない電磁波の構成要素でもあります。通常、伝達時の情報は光子の量子状態にあります。演算を継続するためには長時間安定させることができる別の粒子に光子の量子状態を転写させる必要があります。
OIST研究チームが行なった今回の実験では、炭酸マンガンの結晶にマイクロ波を照射しました。するとマイクロ波の磁場とマンガンの原子核を取り巻く電子の磁気モーメントとの間に相互作用が生じました。続いて、電子の動きに変化が見られた後、原子核の運動にも同様に変化が生じました。これは、電子と原子核が超微細相互作用を通じて結合しているためです。これによりマイクロ波光子の量子状態は、原子核内の磁石が逆方向に反転するタイミングで原子核に転写されました。
この現象を、光子の量子状態が変化する前に素早く生じさせる必要があります。情報を即座に伝達し、原子核を高速で反転させるには、マイクロ波と原子核とが電子を通じて強く結びついている必要があります。
「私たちの知る限りでは、今回の実験が、マイクロ波の光子と核スピンとの間の強い結びつきを示した最初の例でしょう」と、OISTのポスドク研究員で論文の第一著者でもあるレオニード・アブドウラヒモフ博士は言います。
次は、このシステムをセ氏マイナス273度(華氏マイナス500度)まで冷却し、温度変動を最小限に抑えることでマイクロ波の光子と核スピンとの結合を増強させ、情報の保存時間を延長できるかを調べることにしています。
「私たちは、量子記憶を実現するために核スピン集団の利用に向けた重要な一歩を踏み出すことができました」とコンスタンチノフ准教授は述べた上で、「この研究を更に進めていくにあたり必要となる材料は全て揃っています。今後の実験で有用な結果が得られるはずです」と期待をにじませました。
Journal
Physical Review Letters